日高山城 (ひだかやまじょう) (日高城・茶臼山城)
最寄地 愛媛県松山市立岩中村甲277-1 2020.2.6
日高山城 (ひだかやまじょう) (日高城・茶臼山城)
最寄地 愛媛県松山市立岩中村甲277-1 2020.2.6
登城ルート(緑線は車道)
ここから登る
堀道
城跡南西の堀切・石垣
虎口の石垣
主郭・石宮
北側下段の2郭
日高山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m】
【感想】 松山市立岩中村の標高377mの山頂に築かれている。主郭は30m四方ほどで、中央に崩れかけた石宮が祀られている。虎口横に石垣が残り、15m程下がった北側に2郭がある。
主郭南西尾根に堀切があり、石垣の上に城趾碑が建てられている。
【案内】 県道17号線より南に行った「中村集会所」(表記番地)先の駐車場が利用できる[マップコード53 807 506*52](地図)。
駐車場西の道から登り、折り返すと明見神社屋根が見え、尾根の東側に堀道がある。
そこを伝って、途中2股に分れるがどちらを行っても合流する。合流点先から尾根に登り、尾根の右側(西側)の山道を登ってゆくと堀切の西に出る。
堀切の城跡側に石垣があり、城趾碑が建てられている。
そこから北東に登ると虎口右に石垣があり主郭に着く。
【歴史】 河野氏の一族・重見、森岡両氏の居城とされ、重見通勝父子は南朝に奉仕した功により正五位を贈られている。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉の将小早川隆景の軍に攻められ落城した。『城趾碑由来文』より。