大津山城 (おおつやまじょう) (藟嶽城)(つづらがたけじょう)
最寄地 熊本県玉名郡南関町関東934 2015.5.11 2017.5.11
大津山城 (おおつやまじょう) (藟嶽城)(つづらがたけじょう)
最寄地 熊本県玉名郡南関町関東934 2015.5.11 2017.5.11
登城ルート(緑線は車道)
四阿・登り口
堀切
2郭・奥に主郭
礎石・大津山城趾碑
北尾根の堀切・資基橋
家稜橋
大津山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高160m】
【感想】 標高256mの大津山に主郭がある。その東に下ると堀切に架かる資基(すけもと)橋、家稜(いえかど)橋、新蔵橋があり、少し離れて鑑元橋(あきもと)がある。
その先の駐車場からは比高約80mの緩斜面で、堀切など見どころも多いので、こちらを登り口に薦めたい。
【案内】 「B&G海洋センター」(表記番地)の東の道路を北に180mほど行った「家治館跡」の東に駐車場[マップコード69 531 819*53](地図)がある。
そこより、大津山頂上への遊歩道が整備されている。
四阿の園地を過ぎ登って行くと平坦地と堀切があり、上段に2郭がある。南北に細長く、梵字の石塔が祀られ、南端より展望が利く。一段高い主郭手前に石垣が見られ、「大津山城趾」の石碑、説明板が建てられ、礎石建物跡が残っている。
主郭の北に降ると、4本の堀切があり、夫々城主等の名のついた橋が架けられている。その先に北東側の道路横に駐車場がある[マップコード69 562 362*05](地図)。
居館跡は大津山阿蘇神社南東の正法寺跡(地図)と推定される。
【歴史】 応永三年(1395年)大津山資基により築かれ、約200年間にわたって南関地方を治めた大津山氏代々の城跡である。藟嶽城と呼ばれている。
天正十年(1582年)大津山氏6代資冬の頃に龍造寺家治が、つづらが嶽城城主になった時、麓の館に居住していた。
薩摩の島津氏の勢力が北上すると小代氏とともに大津山氏も島津氏に降ったが、天正十五年(1587年)の豊臣秀吉の九州征伐で開城して秀吉を出迎え、所領を安堵された。
その後、肥後に入封した佐々成政によって所領を奪われ、一揆を起こしたが滅亡した。
佐々成政に代わって加藤清正が北肥後に入封すると、加藤直政、加藤正次が城代として小代城より入ったが、慶長五年(1600年)鷹ノ原城を築いて移り廃城となった。
【発掘調査】 平成六年の発掘調査で、主郭跡から四間×六間の礎石建物跡が見つかった。
遺物としては、すべて16世紀後半から17世紀初頭のもので、中国製陶磁器などと共に擂鉢・火鉢・皿などの日用品がまとまって出土した。その結果、この城跡は中世の城というより戦国末期の山城としてのイメージが強い。『南関町説明板』より。