中島城 (なかしまじょう)
最寄地 岡山県岡山市中区中島75 2021.2.12
中島城 (なかしまじょう)
最寄地 岡山県岡山市中区中島75 2021.2.12
中島地蔵堂
若宮様
説明板
中島城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 遺構は消滅しているが、中島地蔵堂に説明板が建てられている。
実際の城跡は、現在地より約150m西の百間川堤防近くにあり、城跡にあった若宮様(屋敷神)が県道の新設に伴い現在地に移設されたという。
【案内】 県道96号線の大きな信号交差点より東に20m程行き右折したところに中島地蔵堂があり、若宮様が祀られ城址看板が建てられている[マップコード275 053 829*56]。
【歴史】 室町時代から戦国時代にかけて中島地域一帯を支配した中島氏の居城があった。金川城主松田氏の勢力下にあり、龍ノ口城の属城としての役割を果たしていたと考えられる。
永禄十年(1567年)備中松山城主・三村元親と備前宇喜多直家が激突して戦った明禅寺合戦の戦場となり、城は蹂躙され城主・中島大炊助は殺害されてしまった。
子孫は宇喜多・池田両氏に仕え連綿として今日に至っている。