大島城 (おおしまじょう) (那波城)
所在地 兵庫県相生市那波大浜町25−11 2019.10.25
大島城 (おおしまじょう) (那波城)
所在地 兵庫県相生市那波大浜町25−11 2019.10.25
参道入口にある城址碑(由来文)
大島山桜公園・住吉神社・右に善光寺
説明板
腰郭
大島城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高30m】
【感想】 芋谷川に突き出た標高31.5mの半島となっているが、往時は周囲を河川に囲まれた島であった。
遺構は少ないが、住吉神社があり、下段に腰郭のような平坦地がある。
【案内】 大島城跡は本覚院善光寺(表記番地)のある大島山桜公園となっており、参道入口に城址碑が建てられている[マップコード114 191 548*77]。善光寺西側には住吉神社が祀られている。
【歴史】 平安時代、長治元年(1104年)相模国海老名郷より下向した、播磨海老名氏の祖家季がここに城郭を築いたのが始まりと云われる。
海老名氏は代々矢野庄別名(べつみょう)の下司職、矢野庄例名(れいみょう)の地頭職に任じられた豪族であった。
建武三年(1336年)別名の下司職であった7代景知は、赤松円心に属し、弟の詮季(あきすえ)や同族の泰知と共に白旗城に立て籠もって新田義貞軍と戦い、功績を挙げたが、留守にしていた大島城は同年五月十九日、新田軍に与した和田範長(児島高徳の父)によって火を放たれ、灰燼に帰したと云われている。