佐料城 (さりょうじょう) (讃綾館 )
所在地 香川県高松市鬼無町佐料157 2017.12.12
佐料城 (さりょうじょう) (讃綾館 )
所在地 香川県高松市鬼無町佐料157 2017.12.12
佐料城跡より勝賀城遠景
佐料公会堂
説明板
奥津神社
神社東
佐料城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 鬼無(きなし)町佐料にあり、城の内と呼ばれる土地の南西側と北東側にL字状の堀跡が残っているという。
一帯は住宅が建ち一部畑となり、奥津神社の東側に低い土地が見られた程度で、はっきりとしなかった。
【案内】 県道33号線の信号交差点より勝賀城へ向かう道を約200m行った右手に「佐料公会堂」(表記番地)があり、その前に説明板が建てられている[160 802 466*37](地図)。
その裏手の奥津神社一帯が城跡とされ、約65m四方の方形館と考えられている。
【歴史】 笠居郷(鬼無・香西・下笠居)を本拠とする香西氏の居城跡で「讃綾館(さりょうのやかた)」とも呼ばれる。
承久三年(1221年)の承久の乱において鎌倉幕府方として軍功のあった香西氏初代資村(すけむら)は阿野(あや)北条・阿野南条・香西・香東の4郡に勢力を広げた。
資村は讃岐藤原氏一門の頭領となり、勝賀山に詰城勝賀城を築き、麓の佐料に居館を築いたとされる。
天正五年(1577年)に18代佳清(よしきよ)が藤尾城を築いて移る迄、代々の居城であった。