葛籠屑城 (つづらくずじょう)
最寄地 愛媛県松山市堀江町2240−3 2018.3.6
葛籠屑城 (つづらくずじょう)
最寄地 愛媛県松山市堀江町2240−3 2018.3.6
登城ルート(緑線は車道)
作業小屋・入口
進入路と堀切のみかん畑
南東側下段の石垣
東側上段の石垣
主郭・城跡標柱
葛籠屑城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 国道196号線「大谷トンネル」の直上、標高107mの山頂に築かれており、西側は断崖となり、南東側に石垣が残っている。またみかん畑の一部となっている堀切も確認できる。
【案内】 国道196号線より大谷集落に入り東外れまで細い道を登ってゆくと溜め池があり、その横に1台駐車出来る[マップコード53 586 296*66]。
溜池堤防先を右(南西)に道なりに進むと城山の東の作業小屋の所で行き止まりとなる。薮をかき分けて行くと廃屋があり、更に薮を進むと視界が開けみかん畑の先に城山 が見える。
みかん畑と城山の間に堀切があり、少し左手より直登すると、石垣がありその上に主郭がある。主郭は草木で鬱蒼としているが南北に細長く、南寄りに城址標柱が建てられている。
【歴史】 河野家侍大将十八将の内、因島村上氏の一族村上内蔵太夫吉高の居城であったが、元亀三年(1572年)織田信長の家臣山岡対島守に攻められ落城したと伝えられている(二名集)。
別説に、天正八年(1580年)村上吉高は来島城主村上通総の陰謀に加担したことが露呈し、河野氏によって攻められ落城し、吉高は自刃したとも伝えられる。
その後、河野氏の家臣乗松内蔵允が城主となったが、天正十三年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐で河野氏は滅亡し、廃城となった。