永里城 (ながさとじょう) (花牟礼城) (はなむれじょう)
所在地 熊本県球磨郡あさぎり町上西 2020.9.22
永里城 (ながさとじょう) (花牟礼城) (はなむれじょう)
所在地 熊本県球磨郡あさぎり町上西 2020.9.22
登城ルート(緑線は車道)
登り口・標識
東尾根の標識
南東の郭切岸
南東の郭
主郭切岸
主郭・標柱
永里城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 あさぎり町上西の標高382mの山頂に築かれており、尾根続きの北東約1kmには上村城(麓城)がある。
主郭は広いが薮があり、東に堀切と段郭が2段見られる。一方西はなだらかで、平坦地の先に堀切が残っている。
【案内】 あさぎり町の「ビハ公園キャンプ場」に向かい、その手前の林道中尾線起点に花牟礼城への道標がある[マップコード333 064 844*85](地図)。
そこから林道を500m程行くと、ハイキングコースの標識がある.
しかし、その先の遊歩道が流失しており、谷筋の所々に残っている木道の残骸を目印に登って行く。
尾根に出ると、花牟礼城と麓城への道標がある。そこから切岸の右側を登って行くと、主郭に着く。主郭は薮があり、永里城址の標柱が建てられている。
【歴史】 築城年代は定かではないが、永里彦次郎が居城としていたという。 その後、岡本又二郎が居城としたといわれる。
大永六年(1526年)瑞堅の乱のとき、落合加賀守が城主であった。相良瑞堅は僧兵200を率いて人吉城を一時掌握したが、相良長唯に追われ、落合氏の永里城に籠城した。相良長唯は上村城主頼興の加勢を得て永里城を落とした。瑞堅は金蔵院に逃れ、寺に火を放ち、自刃した。