騎牟礼城 (きむれじょう) (鎮西城)
最寄地 大分県竹田市大字会々3645 2019.5.7
騎牟礼城 (きむれじょう) (鎮西城)
最寄地 大分県竹田市大字会々3645 2019.5.7
登城ルート(緑線は車道)
本丸北側の断崖
東側分岐
主郭・土塁・説明板
説明板
主郭
2郭・土塁
騎牟礼城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 竹田市会々の標高380.5mの独立山頂に主郭があり、西に鞍部郭、2郭がある。北側は断崖となっている。
主郭は城址公園として整備され、楠御招魂之碑などの碑や説明板が建てられている。
2郭や鞍部郭には、井戸跡や土塁も残っているが鬱蒼とした藪で覆われている。
【案内】 国道442号線に面して「騎牟礼城址公園→」の看板があり、その先に駐車場が用意されている[マップコード237 180 121*82](地図)。
そこより南東に約200m行き、大きく右折して登ってゆくと鞍部の駐車場に着く。車道は狭いので徒歩の方が良い。
【歴史】 騎牟礼城の歴史は久安六年(1150年)から久寿二年(1155年)まで6年間鎮西八郎為朝の豊後での活躍時期に始まる。
「豊後国史」の六巻には「仁平中源公子為朝干此云」とあり、源為朝が騎牟礼城としたと記されている。
天正十四年(1586年)の豊薩戦争、明治十年(1877年)の西南の役などでは、戦略上重要な陣地となった。
また文久二年(1861年)建立の楠公逢拝所の塔、明治七年(1874年)佐賀の役に出陣した岡藩士石川政夫の忠魂碑がある。『説明板より抜粋』