蓮池城 (はすいけじょう)
最寄地 佐賀県佐賀市蓮池町蓮池6−49 2019.12.9
蓮池城 (はすいけじょう)
最寄地 佐賀県佐賀市蓮池町蓮池6−49 2019.12.9
西側の濠
濠・神社
男山
二の鳥居右の説明板
蓮池神社跡
蓮池城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 蓮池城は佐賀城の東約5kmに位置し、構造は佐賀江川と周辺のクリークを濠とした平城である。
蓮池公園として整備され、東と西側に幅広の濠や指揮所として使用された男山が残っている。
蓮池神社跡の南東に居館跡・陣屋跡の築山がある。
【案内】 「蓮池公民館」(表記番地)の駐車場が利用出来、説明板が建てられている[マップコード87 298 133*75]。
その西の蓮池神社と佐賀江川を渡った南の蓮池公園が蓮池城跡である。公園の南側に男山と呼ばれる築山があり、南側に練兵場(現在は田圃)があり、藩主や重役方の観兵や指揮所に使用された。
蓮池神社は老朽化のため平成二十八年に解体され、四阿が建てられ、南東に築山がある。
【歴史】 関東から下向した小田直光の居城として築かれたとされ、その後、小田氏代々の居城として使用された。
佐賀城主龍造寺隆信の侵攻を受け、小田政光は龍造寺氏に臣従した。のちに城主小田鎮光が降伏すると、龍造寺氏の支配となり、後藤家信、龍造寺家晴が城主となった。
天正十二年(1584年)、龍造寺隆信が沖田畷の戦いで戦死すると、天正十七年(1589年)隆信の次男江上家種が勢福寺城より移ったが、文禄の役で戦死により、鍋島直茂の居城となった。
鍋島直茂は、関ヶ原の戦いの後、拠点を佐賀城に移し、鍋島生三を蓮池城に入れ、程なく、直茂の意向で鍋島氏の外戚家門の石井氏が城代として入城した。
本丸城代に石井重次、駕輿丁出城番に石井正国、小曲出城番に石井茂利、蒲田江出城番に石井茂成が配置され、石井一族が共同で城の守備についた。当時、佐賀城の出城として、鍋島氏は筑後方面からの侵攻への備えとして蓮池城を重視した。
元和元年(1615年)、一国一城令により、城代石井氏が佐賀城下に移り、城は破却され、建造物は佐賀城に移築された。
しかし、その後、鍋島勝茂の三男直澄が、寛永十六年(1639年)に蓮池藩(5万2625石)を創設し、再建され、藩庁を設置し、明治維新に至るまで蓮池鍋島家の居城となった。
明治四年(1871年)の廃藩置県により、蓮池陣屋は廃棄され、跡地には蓮池神社が創建される。
城域は蓮池公園として整備され、現在は一般開放され、桜の名所としても知られている。