出水城 (いずみじょう) (亀ヶ城・花見ヶ城・和泉城)
最寄地 鹿児島県出水市麓町1401 2018.12.11
出水城 (いずみじょう) (亀ヶ城・花見ヶ城・和泉城)
最寄地 鹿児島県出水市麓町1401 2018.12.11
配置図
登城ルート(緑線は車道)
城山標柱
住吉ヶ城切岸
住吉ヶ城
水天ヶ城(薮)
梅ヶ段(薮)
初代島津用久・夫人の墓
出水城 住吉城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 米ノ津川左岸の標高83mの丘陵に築かれている。10の城から構成される複郭式の山城である。鹿児島ではシラス台地を空堀で隔てた郭を夫々城と呼ぶ。
住吉ヶ城の切岸は急で登り口は東側にあり、一応開けているが、他の城は放置され、鬱蒼としている。
【案内】 表記番地先の「城山墓地公園」の駐車場が利用できる[マップコード226 223 874*80]。
南東側に墓地となった郭があり、その北に住吉ヶ城がある。住吉ヶ城は切岸に階段が設けられており、杉林となっている。空堀が各所に残っているが、他の城は樹木が鬱蒼と茂り踏み込めない。
昭和五十二年(1977年)2月1日、出水市の史跡に指定された。
国道328号線「西之口」交差点の東60mより右折し、徒歩で100mほど行くと、右側に薩州島津家の墓がある(地図)
正面に薩州島津家初代用久と夫人の墓があり、横に2代国久、3代重久、4代忠興、5代実久、6代義虎、7代忠辰(ただとき)の墓が並んでいる。
【歴史】 建久年間(1190~99年)に和泉兼保によって築かれた。応永二十四年(1417年)和泉直久は川辺松尾城の合戦で、島津久豊方に与し討死し、後継なく断絶した。
享徳二年(1453年)島津忠国の子用久が薩州島津家を興した。
その後、文禄二年(1593年)薩州家が朝鮮出兵に際し豊臣秀吉の怒りを買い改易されるまで、薩州家の居城となった。