七浦城 (ななうらじょう) (玖摩陣)
最寄地 宮崎県都城市山之口町富吉5940 2019.5.5
七浦城 (ななうらじょう) (玖摩陣)
最寄地 宮崎県都城市山之口町富吉5940 2019.5.5
登城ルート
標柱・無線鉄塔・遠景
西の郭
西の郭切岸
堀切(薮)
主郭西側切岸 (薮)
七浦城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 富吉川南の標高196mの東西に細長い丘陵に築かれている。西郭は樹木が伐採され、登りやすかったが、東側は竹や灌木が多くおまけに楤の木が群生し棘でとても登れなかった。主郭との間に堀切が確認できた。
【案内】 県道47号線の一つ東の市道に城跡標柱が建てられている[マップコード117 618 886*36](地図)。
東に無線塔があり、その背後を右に行き登ってゆくと、西側の郭に着く。その東に堀切があり、主郭がある。
【歴史】 南北朝時代の延文三年(1358年)頃、三俣城(松尾城)の畠山氏に対峙する位置にあり、肥後の球摩を本拠とする菊地武光が陣を構えた。このことから玖摩陣とも呼ばれている。