篠ノ丸城 (ささのまるじょう)
所在地 兵庫県宍粟市山崎町横須/門前 2019.4.12
篠ノ丸城 (ささのまるじょう)
所在地 兵庫県宍粟市山崎町横須/門前 2019.4.12
登城ルート
登り口・城址碑
本丸虎口
城址碑
本丸空堀・土塁
二の丸
二の丸西側3番目の堀切・土橋
篠ノ丸城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高160m】
【感想】 宍粟市山崎町の揖保川右岸の北西から伸びた標高325mの尾根先端に築かれており、本丸、2の丸を中心に付属郭が配置されている。
本丸土塁やL字形の空堀、西尾根の3重堀切、北斜面の畝状竪堀などよく残り、見所は多い。
【案内】 国道29号線「しそう農協前」交差点より西に約1.6km行った「最上山公園」北の駐車場が利用できる[304 019 747*28](地図)。
北へ車道を100m程行くと、登り口があり城跡碑が建てられている。妙見堂鳥居を潜り参道を登る。9合目付近に腰郭があり、山崎町が展望できる。
本丸に妙見宮が祀られ南から西に土塁・空堀があり、北側に段郭がある。西に細長い郭を経て二の丸がある。二の丸の西尾根に3重の堀切が見られる。また東斜面に崩れているが、畝状竪堀が残っている。
【歴史】 赤松氏一族の西播磨守護代宇野氏は山崎町中心部に居館を置いた。『赤松家播備作城記』には、南北朝期に赤松貞範の長男顕則が、篠ノ丸城を築いたとしている。
戦国時代には宇野政頼の長男満景が城主となったが、天正二年(1574年)父子の不和から政頼は満景を廃嫡し殺害したと伝わる。その後内海左兵衛が城代となったが、天正八年(1580年)羽柴秀吉の攻撃により長水城と共に落城した。
『黒田家譜』には、宇野氏滅亡後に黒田官兵衛が「山崎の城」に居城したと記しており、これを篠ノ丸城とする説がある。
確実な史料から官兵衛が宍粟を領有するのは天正十二年(1584年)七月のことで、天正十五年(1587年)七月に豊前へ移封となるまでこの地を治めた。