荒隈城 (あらわいじょう) (荒骸城・洗合城)
最寄地 島根県松江市堂形589 2016.5.19 2017.5.6
荒隈城 (あらわいじょう) (荒骸城・洗合城)
最寄地 島根県松江市堂形589 2016.5.19 2017.5.6
天倫寺
宍道湖方面
北西の高台
洗合山総荒神
最高所のソーラー
荒隈城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 天倫寺西の台地が城跡とされる(松江市国屋町)。
台地は南から北に階段状になっており、往時の曲輪跡と思われる。主郭と思われる最高所には、なんと真新しいソーラーパネルが並んでいた。
【案内】 天倫寺(表記番地)の西に台地があり、墓地、高所に「洗合山総荒神」が祀られている。またその北の崖上の最高所にはフエンスで囲まれた「南平台太陽光発電所」のソーラーパネルが設置されている。
【歴史】 宍道湖に突き出す丘陵端に位置し、現在丘陵の東西は佐田・松江方面共に陸地となっているが、当時は佐田水海と湿地帯が拡がっており、天然の要害をなしていた。
白鹿城攻めに先立ち、永禄五年(1562年)毛利元就により出雲侵攻の陣城として築城されたが、宍道湖に面し水運の利もあることから、白鹿城の落城後も尼子氏が降るまで出雲侵攻の拠点として機能した。
永禄九年(1566年)尼子氏が降り、その役目を終えて廃城になった。
関ヶ原の戦いの後、出雲に封じられた堀尾吉晴が再取立てを検討したが、石高に比して城域が広大との子・忠氏の意見を入れて亀田山を選地し、以後城郭として使用されることはなかった。