鬼ヶ城 (おにがじょう) (香春城)
最寄地 福岡県田川郡香春町大字香春458 2020.9.25
鬼ヶ城 (おにがじょう) (香春城)
最寄地 福岡県田川郡香春町大字香春458 2020.9.25
登城ルート(緑線は車道)
須佐神社
三の丸
二の丸
一の丸(山側)
天主台西の鞍部
天主台
鬼ヶ城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 香春岳城 の一ノ岳東斜面の標高約160m付近のテラス状地形にあり、3つの郭と北100m程の所に天主台がある。
一の丸は東西約50m南北約60mと広い平坦地で礎石が残っており、2、3の丸は緩斜面である。
天主台は櫓台程度の広さで、崩れた石垣があり、西は鞍部となっている。
【案内】 国道322号線より香春中学校西にある須佐神社(表記番地)に駐車でき、案内板が建てられている[マップコード96 612 695*75]。
本殿の左手に登り口がある。そこから砂防ダム前を通ってジグザグに登って行くと、案内板が建てられ、その上の三の丸に着く。
上段に二の丸、広い一の丸があり、二の丸から北に100m程歩くと、天主台がある。
【歴史】 天正十五年(1587年)豊臣秀吉は豊前8郡のうち6郡を黒田孝高に与え、企救・田川郡の2郡を森吉成(後の毛利壱岐守勝信)に与えた。
慶長五年(1600年)九州でも西軍と東軍の抗争があり、大友吉統を討った黒田官兵衛は鬼ヶ城にも攻めて来た。
関ヶ原の戦いの後、毛利氏は改易となり、翌年、細川忠興が筑前に入国し、鬼ヶ城は中津城の支城に取り立てられ、藩主忠興の末弟・中務少輔孝之が2万5千石で入城し、修築し、新たに孝之の本城(香春城)とした。
元和元年の廃城令で石垣など破却、廃城となった。