村岡陣屋 (むらおかじんや) (村岡藩陣屋)
所在地 兵庫県美方郡香美町村岡区村岡 2019.9.20
村岡陣屋 (むらおかじんや) (村岡藩陣屋)
所在地 兵庫県美方郡香美町村岡区村岡 2019.9.20
入口の模擬門
模擬門・土塀・駐車場
北最上段
西中段
奥方部屋
村岡陣屋跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 村岡市街を見下ろす尾白山先端部にあり、模擬門や土塀が建てられた御殿山公園となっている。
西側下段に村岡藩資料館(閉館中)、桜山御廟があり、奥方部屋が移築されている。
【案内】 国道9号線「村岡」交差点から模擬門を潜って行った「御殿山公園」となっており、駐車場が用意されている[マップコード365 207 242*47]。
御廟には山名氏11代因幡守義済(中央)、12代男爵義路(右)、13代男爵義鶴公の墓がある。
また、11代義済の奥方の住居を復元した奥方部屋がある(元は陣屋建物に繋がっていたため玄関部分は無かったため、新しく追加されている)。
【歴史】 慶長六年(1601年)、山名持豊(宗全)の後裔・山名豊国(禅高)が、徳川家康から関ヶ原の戦いの功により七美郡5郷6700石を拝領、執事等を派遣、兎束村(現福岡)下中山に領内仕置き機関を置いた。
寛永十九年(1642年)に3代矩豊が当地に入部し、黒野村を村岡と改め陣屋を現在の資料館付近に設け、城下の町割りを行い、村岡を本拠として領地を治めて以来、宿場町として江戸時代に栄えた。
文化三年(1806年)には、8代義方は尾白山中腹に陣屋を移し、大手門、中門、鎮守社、煙硝蔵、練兵場等を設けて山名氏の家格に相応しい体裁を整えた。
慶応四年(1868年)11代義済の時、1万1千石として立藩した。
しかし、明治四年(1871年)12代山名義路の時、廃藩、豊岡県となり、同六年の廃城令によって、翌年に陣屋や石垣等全て取り壊された。
昭和三十三年(1958年)に県立村岡高等学校(当時は八鷹高校村岡分校)が建てられ、昭和五十七年(1982年)に新校舎が東上(南方800m)に建築され移り、御殿山公園として整備された。