日野山城 (ひのやまじょう) (日山城・火野山城) (国の史跡)
最寄地 広島県山県郡北広島町中山116‐1 2017.5.8
日野山城 (ひのやまじょう) (日山城・火野山城) (国の史跡)
最寄地 広島県山県郡北広島町中山116‐1 2017.5.8
登城ルート(緑丸は米蔵/緑線は車道)
米蔵・土塁
中城口・石垣土塁
姫路丸
大広間の段・池の段
本丸・土塁
出丸・南櫓
日野山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高250m】
【感想】 標高705.3mの火野山(日野山)頂上に本丸があり、主要曲輪、附属曲輪を含めると、28を数える広大な城砦である。土留め程度の石垣が多数残っている。藪化し保存状態はあまりよくない。
【案内】 国道261号線東の円光寺(表記番地)の向いに、説明板が建てられている。西に500mほど行くと説明板が建てられ、駐車場が用意されている[マップコード322 554 088*63]。
沢を2ヶ所渡り約40分登ると、米蔵(4の郭)に着く。米蔵に登る坂に石垣が残っている。その上段に中城口(5の郭)があり、共に土塁(石垣)が残っている。西に中城(3の郭)があり築山が残っている。
土橋を経て急な登りとなり、6の郭、大門の原に至る。右に姫路丸、奥に大広間の段・池の段がある。西の尾根を左に行くと二の丸・馬場がある。
尾根を右に行くと附属曲輪を経て火野山頂上に本丸がある。土塁を備え、50m四方ほどの広さがある。南に出丸(南櫓)がある。
昭和六十一年(1986年)8月28日、吉川氏城館跡として小倉山城跡・駿河丸城跡・吉川元春館跡と共に国の史跡に指定された。
【歴史】 天文十九年(1550年)に吉川氏の家督を相続した吉川元春は、火野山にあった城を再整備し、小倉山城から移って本拠地とした。
元春から元長、広家の3代にわたって拡張整備工事が続けられ、全山が要塞化された。
天正十年(1582年)、吉川元春は隠居し南西約3㎞の山麓に隠居館(吉川元春館)を築いた。元春の死後、吉川氏当主も不便な山上の日野山城には居住せず、元春館に居住するようになった。
天正十九(1591年)に吉川広家が月山富田城主に任ぜられると、吉川氏の居城としての日野山城の役目を終えた。
その後の日野山城は放棄されたようで、山麓の吉川元春館でさえ、慶長五年(1600年)の検地帳では「城館跡」と記載されており、日野山城も朽ちるに任せる状況であったと推測される。