矢野城 (やのじょう) (保木城・発喜城)
最寄地 広島県広島市安芸区矢野東7丁目12−10 2022.6.2
矢野城 (やのじょう) (保木城・発喜城)
最寄地 広島県広島市安芸区矢野東7丁目12−10 2022.6.2
登城ルート
民家左から登る・石垣に道標
鷹野宮歩道橋
北側切岸
北の郭・五輪塔・城跡碑
鞍部
南の山頂
南の堀切
矢野城 南郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高190m】
【感想】 広島市安芸区矢野町の、会下山から北に伸びた標高272mの尾根に築かれている。
南北に3つの曲輪があり、明瞭な遺構は見られないが、北郭の切岸、南郭南の浅い堀切などが確認できた。
【案内】 登り口は分かりづらく、住宅地で交通量の多い県道のため駐車も難しいが、県道34号線の崖側に砂利スペースがあった[マップコード102 575 880*40](地図)。
県道より100m程歩き引き込み道を登り、表記番地の左側から道がある(地図)。石垣に小さな標識が掲示されている。
その道を進むと、「広島熊野道路」を越える鷹野宮歩道橋に出る(地図)。
歩道橋先に「会下山ハイキングコース入口」の標柱が建てられ、会下山頂上まで約2.5kmの遊歩道が続いている。途中にある矢野城跡へは約600m、野間神社へは約1.4km、発喜山へは約1.8kmの歩行距離がある。
送電線鉄塔を経て「お馬屋敷」があり、その先の北郭には五輪塔が祀られ城跡碑や説明板が建てられている。
鞍部を経て南に山頂があり、その南尾根に浅い堀切が見られる。
南尾根続きに野間神社を経由して、発喜城に行くことができる。
昭和十二年(1937年)5月28日、広島県の史跡に指定された。
【歴史】 建武二年(1335年)十二月、南朝方の熊谷四郎三郎入道蓮覚が北朝方の武田氏等の安芸国の有力武士を矢野城に迎え討ち、激しい攻防戦の末蓮覚は討ち死にした(矢野城合戦)。
文安二年(1445年)足利義政より当地を与えられた野間重能が尾張国野間荘から移り、則澄、則能と続き、則能の後は尾張国より興勝を養子として迎えた。4代興勝の時野間氏の最盛期を迎えたようだ。
弘治元年(1555年)毛利氏に滅ぼされるまで5代110年間の居城とした。