八石城 (やついしじょう) (八ツ石城) (市の史跡)
最寄地 徳島県三好市井川町井内西3469 2017.9.22
八石城 (やついしじょう) (八ツ石城) (市の史跡)
最寄地 徳島県三好市井川町井内西3469 2017.9.22
登城ルート(緑線は車道)
駐車場・城跡入口
主郭・奥に城址碑
城址碑
東側の横堀
東側下段の横堀
八石城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 三好市井川町井内西の標高791mの岩の多い山頂にあり、30m四方程の主郭の北から東に3、4段の横堀が巡らされている。
南朝の城らしく麓からの比高は500m以上あり、今でこそ車で行けるが、帯刀して登り下りしたのだろうか? 当時の武士の逞しさが偲ばれる。
【案内】 国道192より県道140号線に入り、井川スキー場方面へ向かう。「八石城5㎞」の標識がある県道140号線を右折する[マップコード357 554 471*24](地図)。
民家の間の九十九折の車道を登り、最後の青い屋根の3軒並ぶ民家(表記番地)西より林道になる(初め狭いコンクリート舗装の林道はすれ違えない)(地図)。道標のある林道を登って下りに差し掛かる左に、トイレのある駐車場が用意されている。
東に登るとすぐ城跡で、主郭に石碑、説明板が建てられ、土塁が残っている。北から東にかけて3、4段の横空堀がある。
昭和六十年(1985年)10月8日、三好市の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代、天授元年(1375年)頃、東北の戦いに敗れた新田義治は、四国・西国大将軍として派遣されていた父脇屋義助(新田義貞の弟)を頼って伊予国に来た。
しかし、父が既に病死していることを知ると、阿波のこの地方に潜入し、新田の森に居住し、山岳武士と呼応して八石城を築いたとの伝承がある。