片岡城 (かたおかじょう)
最寄地 高知県高岡郡越知町片岡1277 2018.3.7
片岡城 (かたおかじょう)
最寄地 高知県高岡郡越知町片岡1277 2018.3.7
登城ルート(緑線は車道)
妙福寺にある片岡光綱の五輪塔
登り口
2重竪堀
主郭石垣
主郭・社
背後の横堀
尾根の堀切
片岡城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 仁淀川左岸の越智町片岡にある標高約140mの山腹に築かれており、2重竪堀や横堀、堀切、石垣などの防御施設がよく残っている。残念ながら2、3郭など草木に埋もれている。
細い道が多く、登り口は分かりにくく探すのに時間がかかった。片岡城の東、直線距離約700mの同じ山塊に法厳城がある。
【案内】 県道18号線より細い道に入る[マップコード181 844 223*36]。200m程北に登った表記番地の西側の道路は広くなっており駐車でき、石垣横から登る(地図)。
または集落東側から行った妙福寺(片岡1445)にも駐車出来、境内の隅に片岡光綱の墓がある。
石段を登ると、間もなく石垣の平段が階段状に並んでおり、その上に3郭、2郭が並んでいる。通路の左に2条の竪堀が見られ、更の登ると桝形のような曲輪がある。石段の坂虎口を登ると主郭があり神社が祀られている。左側に「片岡氏発祥五百年祭記念碑」の石碑(裏に由来文)が建てられている。
拝殿裏に櫓台があり、その先に横堀が巡らされ、背後に堀切とそれに続く竪堀が残っている。
【歴史】 応永十八年(1411年)片岡直弘が上野国片岡郷より土佐に移り、築城したと云われる。
元亀二年(1571年)城主片岡光綱のとき、長宗我部元親に降ったと云われる。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で、片岡光綱は伊予の金子城主金子備後守元宅の援軍として伊予へ赴き、小早川隆景の軍勢と野々市原で戦って討死した。
また、片岡光綱の子光政は豊臣秀吉の九州征伐で、天正十四年(1586年)十二月豊後国戸次川の戦いで島津家久の軍勢と戦って討死した。