右田ヶ岳城 (みぎたがだけじょう)
最寄地 山口県防府市下右田668 2019.5.2
右田ヶ岳城 (みぎたがだけじょう)
最寄地 山口県防府市下右田668 2019.5.2
登城ルート
天徳寺・登山道標識
右田氏墓地
石船山(奥に右田ヶ岳)
堀切・左が西峰
鞍部にある 標識
2郭
主郭
主郭西端
右田ヶ岳城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高380m】
【感想】 防府市下右田の標高426mの右田ヶ岳(中峰)の西、標高403mの西峰に主郭があり、その東側下段に2郭がある。また中峰、東側の東峰にも出丸があったという。
主郭、2郭は標識もなく、灌木が生えてはっきりしなかった。辛うじて堀切に古い標識があり、城跡であることが判った。
2つのピークを越えて行く道はロッククライミングに近く、高齢の身にはきついものがあった。
途中で幾度か引き返そうとも思ったが、何とか主郭にたどり着いた。主峰の中峰やその東の東峰には疲労のため行く気がしなかった。
【案内】 国道2号線「塚原」交差点より県道24号線を北に行き、山陽新幹線下を過ぎて左折して行くと、右田小学校の前に駐車場がある[マップコード93 262 711*77](地図)。
天徳寺前を東に行くと右田氏の墓地があり、天徳寺(表記番地)に説明板が建てられ、天徳寺裏の墓地の左端より登り口がある。
堀道を少し登ってゆくと、石垣の上に三十三観音堂があり、その前を通って尾根の岩場に出る。そこから巨岩に彫刻された観音像が点在し、その間を縫うように岩場を登ってゆく。最初のピーク石船山(標高194m)でへとへとになった。そこから奥に右田ヶ岳が遠く見える。
一旦下り尾根道を進み次のピークに達する。再度下って尾根道を歩き、そこから険しい岩場を登ってゆく。西峰の巻き道を進むと中峰・西峰の鞍部に着く。
鞍部の堀切があり、左へ岩場の道を登ると、2郭があり、上段に主郭がある。
別ルートとして南東麓の細い道を行った民家(上右田1736−2)横の石段からも登山道がある(地図)。こちらの方が地理院地図から見て緩やかな感じがする。東峰東に着き、中峰を越えるルートである。
【歴史】 鎌倉時代末期、大内氏一族の右田氏により築城された。
天文二十四年(1555年)厳島の戦いで陶晴賢は毛利元就に敗れ討死した。同年、毛利氏が周防・長門に攻め入ったとき、城主右田隆量は野田長房と共に籠城したが、毛利元就の勧告に従い降伏し、毛利氏に仕えた。
その後、毛利氏家臣の南方就正が入城し、永禄十二年(1569年)大内輝弘が山口に乱入した時には、南方就正がこの城より出撃し、大内輝弘を撃退した(大内輝弘の乱)。
その後の歴史は不明だが、江戸時代初期頃には廃城となった。