田屋城 (たやじょう) (市の史跡)
所在地 広島県安芸高田市八千代町土師 2022.11.7
田屋城 (たやじょう) (市の史跡)
所在地 広島県安芸高田市八千代町土師 2022.11.7
説明板
遊歩道
2郭
主郭
北側堀切
田屋城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高15m】
【感想】 安芸高田市八千代町土師にある標高270m地点のテラス状地形に築かれている。
2つの郭と帯郭から構成され、北背後には堀切が2条見られ、手前の堀切から左右に横堀が設けられている。
今でこそ道路からすぐの所にあるが、ダム湖ができる前は60mほどの高さがあったようだ。
【案内】 八千代湖北にある「のどごえ公園」駐車場が利用できる[マップコード322 299 000*21]。
道路北側に「田屋城果樹園」がありそこに説明板が建てられ、やや東に田屋城の遊歩道が設けられている(地図)。
昭和46年(1971年)4月20日、安芸高田市の史跡に指定されている。
【歴史】 城主とされる中村氏は南北朝時代に土師に移住した国人領主で、15世紀末、中村元明の時毛利氏に従い、弘元と興元に仕えた。
大永三年(1523年)毛利元就が家督を相続する際、元明は重臣の一人として連判に署名している。
中村氏はその後も土師を拠点にしていたが、慶長五年(1600年)毛利氏に従い萩へ移住し藩士として仕えた。