龍造寺長信館 (りゅうぞうじながのぶやかた)
所在地 佐賀県多久市多久町西ノ原1970 2020.3.12 2020.9.20
龍造寺長信館 (りゅうぞうじながのぶやかた)
所在地 佐賀県多久市多久町西ノ原1970 2020.3.12 2020.9.20
多久神社
多久神社
南側上段の公園(芳岩屋敷)
芳岩屋敷南東の堀切
2条目の堀切
龍造寺長信館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 龍造寺長信館跡に多久神社が建てられ、南の高台、西渓公園が館跡である。
南東高台の公園となっている芳岩屋敷は長信の奥方の屋敷であったといわれ、南東背後に堀切が良く残っている。
【案内】 多久神社(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード104 626 483*31]。
【歴史】 元亀元年(1570年)龍造寺隆信の弟長信は梶峰城に入城した。嫡子・安順(やすとし)から多久姓に改め、代々、明治維新まで多久を支配した。
弘化元年(1844年)11代領主茂族(しげつぐ)は、長信の居住した通称天理様御屋敷と呼ばれるこの地に、先祖への報恩と子孫の繁栄を願い、始祖龍造寺家兼と長信、多久安順を祭神として梶峰神社を創建した。
明治十八年(1885年)に茂族を、大正五年(1916年)に4代茂文を合祀した。昭和二十六年(1951年)西南の役以後の戦没者を加えて、多久神社と改められた。