塩貝城 (しおがいじょう) (胡麻大戸城)
最寄地 京都府南丹市日吉町上胡麻18 2017.1.12
塩貝城 (しおがいじょう) (胡麻大戸城)
最寄地 京都府南丹市日吉町上胡麻18 2017.1.12
登城ルート
塩貝将監の墓
登り口標識
鍛冶屋敷跡・土塁
2郭・奥が主郭
主郭・ 城跡碑
主郭背後の堀切
塩貝城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 登り始めるころ、雪がちらつき始め、心細くなった。民家の墓地はネットで囲まれている為、背後に回り込むように登る。
出丸にある鍛冶屋敷の土塁、虎口はよく残っている。
【案内】 府道445号線より南東に行った「大戸会議所」(表記番地)に駐車できる[344 371 201*16]。途中の「上胡麻区民センター」グランド横に説明板が建てられている。
北に約200m行くと、入口標識が建てられている(地図)。民家の手前のネットのある墓地の裏に回り込み少し登ると、小屋掛けされた「塩貝将監之墓所」(塩貝晴政)があり、小屋側面に説明板と縄張り図が掲示されている。
その先の標識より登ってゆくと、尾根に出、左に少し登ると「鍛冶屋敷跡」があり、碑が建てられ土塁がよく残っている。
戻って尾根の標識より右に登ってゆくと、堀切が2本ある。最後の堀切は右側が畝状堀切となっている。上り詰めると2郭と一段高く標高311mの主郭がある。
主郭は広く、中央に城跡碑と説明板が建てられている。主郭背後に堀切が残っている。
昭和五十五年(1980年)八月、日吉町(現・南丹市)の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代ははっきりしないが、口丹波の土豪波多野氏に仕えた塩貝晴政、その子晴道が城主であった。
天正七年(1579年)晴道は明智光秀に攻められ、落城した。晴政、晴道父子ともに将監を名乗った。