神戸山城 (こうどさんじょう)
最寄地 岡山県小田郡矢掛町小田4212-6 2022.11.5
神戸山城 (こうどさんじょう)
最寄地 岡山県小田郡矢掛町小田4212-6 2022.11.5
登城ルート
道標
小田政清夫妻の墓
鳥居から登る
主郭
2郭(奥が主郭)
神戸山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 矢掛町小田にある標高153mの神戸山に築かれている。
主郭は径30m程の円形で土塁は見られず、2つの郭が南東尾根に設けられている。主郭の西に堀切がありそうだが見逃した。
【案内】 県道407号線に面した小田公民館に駐車できる[マップコード111 395 406*73]。少し南に道標があり、西に90mほど行き右に曲がって60mほど行くと道標が建てられている(地図)。
北西に八幡宮の参道を登ると小田政清夫妻の墓がある(地図)。
八幡宮の鳥居を過ぎ、八幡宮手前より登ると主郭に着く。
他のルートとして2郭、3郭を経由して南東の墓地に出てくる中小田ルートがあるが、こちらは荒れている。
【歴史】 正平二十四年(1369年)京都から地頭として入部した床上小松秀清により築かれたと伝えられる。
初代秀清の後、小田康清・重清・勝清・政清・高清・元家と続き、小田氏226年間の居城となった。
しかし、弘治元年(1555年)猿掛城主・庄高資が小田祭礼の夜、突如来襲し一夜にして落城した。小田政清は流浪の後、三原城主小早川隆景の旗下に属し、永禄八年(1565年)庄実近を討ち取り神戸山城に復帰した。
5代小田治部太夫政清は永禄年間(1558~70年)、岩屋山城・龍山城・馬鞍山城などに支城を築き、笠岡の村上隆重と新山村で戦い、尾敷山城主有岡新之丞を放逐し走出を併吞した。