淡河城 (おうごじょう)
所在地 兵庫県神戸市北区淡河町淡河375 2014.5.1
淡河城 (おうごじょう)
所在地 兵庫県神戸市北区淡河町淡河375 2014.5.1
登城ルート(緑線は車道)
道の駅より見える櫓
本丸跡・櫓
天守台・城跡碑
南側の空堀
淡河家廟所
淡河城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 淡河川南の河岸段丘に築かれた崖端城となっている。
県道38号線「道の駅淡河」の南側の小高い台地に城跡がある。県道38号線に沿って西に500mほど行った地点より南に登って400mほどゆくと城跡の西に着く[マップコード31 836 054*46] 。
天守台に城跡碑と稲荷神社(表記番地)、その北に本丸があり、櫓が復元されている。本丸の周囲に空堀は良く残っており、二ノ丸跡は畑になっている。畑の東に土塀に囲まれた「淡河家廟所」がある。
【歴史】 承久四年(1222年)淡河の地頭に補任された北条右近将監成正が築き、淡河氏を名乗り土地の豪族として、連綿と続いた。
淡河氏は南北朝時代、南朝方に加担し暦応二年(1339年)に石峯寺と三津田において赤松則村(円心)率いる北朝方と戦い、敗れた。
明徳三年(1392年)には、淡河範清が養子として赤松氏より、季範を養子として迎え、その後は赤松氏に属した。
戦国時代には別所氏に属したが、淡河定範が城主であった天正七年(1579年)に豊臣秀吉により攻められ、三木城と共に落城した。
天正八年(1580年)中国攻めで功のあった有馬則頼が3200石で城主となった。
慶長六年(1601年)関ヶ原の戦いで東軍として戦功のあった有馬則頼は2万石を与えられ三田城に移った。
元和元年(1615年)に廃城となった。