上桜城 (うえざくらじょう) (植桜城・上櫻城・川島南城) (県の史跡)
最寄地 徳島県吉野川市川島町桑村2911 2014.5.16 2017.12.10
上桜城 (うえざくらじょう) (植桜城・上櫻城・川島南城) (県の史跡)
最寄地 徳島県吉野川市川島町桑村2911 2014.5.16 2017.12.10
登城ルート(赤は古城/緑は新城)
城址碑・入口
帯郭・虎口
古城本丸跡・城址碑・祠
古城本丸跡
道路より見える新城と堀切
新城南側の堀切
新城主郭・祠
上桜城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道43号線の表記番地より、約180m西へ登った交差点より、北に降りる道路へ右折し250mほど行くと、「上桜城址」の石碑と看板が建てられている(地図)[マップコード160 173 857*56]。
城は東西に独立した新城と古城から二つの城から構成されている。
南の高台が新城であり、新城は昭和四十九年(1974年)の道路工事の為大きく破壊されてしまった(地図)。道路北の台地から南の道路カーブ付近が新城で、南側尾根に堀切が残っている。
そこより北東に100mほど下って登ると古城跡に着く。古城本丸跡には櫓台があり石碑と祠が祀られている。本丸の下段に帯曲輪があり、西の丸があり、空堀、土塁が残っている。
古城は標高142・2mの前山に築かれた山城で、川島城から南へ約1㎞に位置している。
城山には大きな桜林があったので城名を植桜と呼ばれたようである。
平成元年(1989年)12月8日、徳島県史跡に指定された。
【歴史】 南北朝争乱の初期、この地域の土豪・河村小四郎なる人物が、平地進出の拠点として、上桜山に砦を築いたと云われている。
戦国末期には、上桜城は近江国野洲郡篠原郷より移り三好氏に仕えた篠原氏の末裔・篠原長房の居城となった。
篠原紫雲長房は、三好長慶の実弟である三好実休(義賢)に仕え、その死後は遺児三好長治と十河存保(そごうまさやす)及び阿波細川氏の細川真之を補佐し、阿波・讃岐の軍勢を率いて各地を転戦し、畿内の三好政権を支えた。
元亀三年(1572年)六月、三好長治(当時20歳)、十河存保(当時21歳)、細川真之(当時34歳)が木津城主篠原自遁の讒言により長房討伐の兵を挙げ、上桜城を攻めた。
同年七月十六日、籠城継続が困難となった篠原勢は、早朝十河存保の本陣である大日寺(非現存)に突入した。
篠原長房の長男・篠原長重(当時18歳)は長刀を振りかざし十河存保がいる本陣に西門から迫ったが、背後から香西氏の家臣植松資久に討ち取られた。篠原長房も奮闘したが敵陣の中で最期を遂げ、上桜城は落城した(上桜城の戦い)。
長房の死後、上桜城は廃され、長房討伐で功績を挙げた川島惟忠が川島城を築城した。