桜山城 (さくらやまじょう)
最寄地 広島県福山市新市町宮内713 2021.9.18
桜山城 (さくらやまじょう)
最寄地 広島県福山市新市町宮内713 2021.9.18
登城ルート(緑線は車道)
中興寺(石碑の真後ろの山)
中興寺墓地より堀道へ
東側段郭・桜山城址入口の標柱
主郭
主郭・天守台
桜山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高25m】
【感想】 中興寺北の小山に築かれており、主郭と付属の段郭が残っている。主郭は草茫々で櫓台も写真映りが悪かった。
【案内】 福山市新市町宮内の中興寺(表記番地)に駐車できる[マップコード48 827 412*57]。
庫裏の右の墓地を抜け、東側の堀道より尾根を北に行くと、入口標柱があり、西に行くと段郭があり、その先に主郭がある。主郭の北側に櫓台(天主台)が残っている。
また東麓の、県道26号線御池の前に説明板が建てられている[マップコード48 828 725*10]。
【歴史】 鎌倉時代、桜山四郎入道茲俊の居城と云われる。元弘元年(1331年)後醍醐天皇が倒幕を計画したが失敗し、笠置城に逃れ兵を募った時、楠正成に呼応して茲俊も挙兵し備後一宮に拠って一時は備後半国を従えた。
しかし同年九月には笠置山が落城し天皇は捕えられ、十月には千早城も落城、楠正成も戦死した。
そのため桜山方の味方も離散し、四郎入道茲俊は吉備津神社に放火、自刃した。