船山城 (ふなやまじょう)
最寄地 岡山県岡山市北区原610 2021.2.12
船山城 (ふなやまじょう)
最寄地 岡山県岡山市北区原610 2021.2.12
登城ルート(緑線は車道)
登り口
墓地のある郭
主郭
主郭・説明板・須々木豊前守の墓
主郭北の堀切
船山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 岡山市北区原の比高30m程の独立丘陵に築かれている。
約25m四方の主郭と西側に段郭(墓地)が見られ、北背後に堀切がよく残っている。
【案内】 県道27号線より北にS字カーブを通り北に行った表記番地先に路駐した[マップコード275 143 899*75]。東に少し歩くと墓地への階段がある(地図)。
西側の段に須々木姓の墓地があり、その上に主郭がある。須々木豊前守の墓や須々木神社が祀られ、懐古碑や説明板が建てられている。
北背後に堀切が見られる。
【歴史】 室町時代から戦国時代にかけ、備前国の武将・須々木豊前守の居城であった。そして御津金川城主・松田氏の勢力下にあり、その後、備中松山城主・三村元親の勢力下になった。
永禄十年(1567年)の明禅寺合戦が起き、備前の宇喜多直家は備中の三村元親に勝利し、翌年直家の家臣・戸川秀安により船山城は破却された。
出城であった須々木豊前守の嫡子・須々木四郎兵衛の居城・明見山城(現三野公園)も破却された。
須々木豊前守は隠居し、行蓮と号した。
須々木四郎兵衛は宇喜多直家・秀家に仕え、慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの後、御野郡原(現岡山市北区原)に帰農した。