竜王山城 (りゅうおうさんじょう)
最寄地 岡山県浅口市鴨方町六条院西301 2015.5.4 2016.5.8
竜王山城 (りゅうおうさんじょう)
最寄地 岡山県浅口市鴨方町六条院西301 2015.5.4 2016.5.8
登城ルート
枡池堤防・登り口
西側最初の堀切
次の堀切
主郭虎口・祠
主郭跡
竜王山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高220m】
【案内・感想】 一回目の訪城では、龍王山への登り口は見つからなかった。後日、国土地理院地図を調べたら、倉敷紡績(鴨方町六条院西301)の東、「枡池」堤防の南に登山口があった[マップコード465 894 526*76] (地図)。
二回目の訪城を行った。登山口の北側が少し広くなっており、駐車できる。
登山口より登ってゆくと、間もなく送電線鉄塔横に出、一旦下る。ロープの設置された急な坂路のピークが3つあり、鞍部2ヶ所に堀切が残っている。
「備南アルプス縦走路」(山王登山口に至る)看板より右に大きく曲がって登ると、主郭虎口に着く。
主郭には2つの祠が祀られ、標高289.2m「寄島竜王山」の標識、三角点がある。約20m四方ほどの規模で、草が茂っている。山頂より、南側に瀬戸内海の絶景を望む事ができる。
西側山麓の「円珠院」(浅口市鴨方町六条院西890)の東に、100mほど登った所に細川通薫(みちただ)が寄進したという円珠院石造大宝塔一基(地図)が残されている(浅口市指定文化財)。
【歴史】 伊予の川之江城に在った細川通薫は、毛利氏の援助を受けて叔父の失った野州家備中旧領の回復に乗り出した。
通薫は永禄二年(1559年)、海を渡り浅口郡大島郷西部(現在の笠岡市大島中~浅口市寄島町)の青佐山城を修築し入城した。
細川氏旧臣を募り次第に勢力を蓄えた通薫は、毛利氏の客将として備前の浦上氏(宇喜多氏)と対峙した。
永禄九年(1566年)、浅口市南部ここ「竜王山」に城を築き本城とした。天正三年(1575年)に、鴨山城を本城とするまでの9年間在城した。