発心城 (ほっしんじょう)
所在地 福岡県八女市上陽町下横山・久留米市草野町草野 2015.5.12
発心城 (ほっしんじょう)
所在地 福岡県八女市上陽町下横山・久留米市草野町草野 2015.5.12
登城ルート(緑線は車道)
主郭東側
主郭北堀切
主郭・山頂標識
三の郭・二の郭
東100m地点の堀切
発心城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 発心城は八女市と久留米市の境界、標高697.4mの発心山に築かれている 。
県道798号線が峠にかかる地点と高良山からの尾根に沿った林道と交差点(地図)の中央の「耳納スカイライン」林道を東に3.2㎞行くと、発心山西側約200mに「漱石句碑」があり、発心山頂上に主郭跡がある。林道路肩に駐車できる[マップコード166 453 334*87]。
西斜面に腰郭があり、北に堀切で隔てられて二の丸、三の丸がある。林道脇に説明板が建てられ、林道の東約100m地点に堀切が残っている。
また林道を東にかんかけ峠を経由して8.3㎞行くと「鷹取城跡」のある鷹取山がある。
昭和四十八年(1973年)4月19日福岡県の史跡に指定された。
【歴史】 発心城は、中世を通じて築後の有力な土豪であった草野氏最後の当主家清(鎮永)が、天正五年(1577年)それまでの竹井城に代わる拠点として築城した。
中心をなす2つの郭を中心に、東・北・西に延びる尾根を利用して郭や土塁、堀切を配置した山城(標高698m)で規模は発心山頂を中心に東西約350m南北約300に及び、築城には数年を要したという。
大友方の武将や高良山座主らの攻撃にも耐え、難攻不落を誇る城であったが、天正十六年(1588年)、家清が肥後国南関において豊臣秀吉の家臣に謀殺されると、草野氏は滅亡し、廃城となった。『久留米市教育委員会』説明板より。