常広城 (つねひろじょう) (恒広城・鹿島古城)
所在地 佐賀県鹿島市常広420 2020.3.10
常広城 (つねひろじょう) (恒広城・鹿島古城)
所在地 佐賀県鹿島市常広420 2020.3.10
校門・由来碑
由来碑
西側の堀跡(右側)
校舎
常広城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 北鹿島小学校となり遺構はほとんど見られないが、西側の用水路は堀跡と云われる。
【案内】 北鹿島小学校(表記番地)敷地となっている[マップコード104 147 011*57]。
城門風の校門が建てられ、由来碑が左側に設置されている。
【歴史】 築城時期は不明である。戦国時代末期、鹿島一帯は有馬氏と龍造寺氏が対峙していた。
天正四年(1576年)龍造寺隆信は鹿島にあった有馬氏方の城を次々攻め落とした。
常広城には戦功のあった鍋島信房が置かれた。信房は後に佐賀藩祖となった鍋島直茂の兄である。
龍造寺隆信が有馬氏を追って、天正十二年(1584年)島原で戦死すると、肥前国の実権は鍋島直茂に移り、その子・勝茂が佐賀初代藩主となった。
慶長十二年(1607年)勝茂は弟忠茂に鹿島2万石を与え鹿島藩が成立した。
慶長十六年(1611年)忠茂は恒広城に入った。
承応元年(1652年)3代藩主鍋島直朝は新しく城を築き直した。
文化四年(1807年)高津原(現鹿島高校)に鹿島城を築き移るまで、鹿島鍋島藩の館として使われた。