伊勢が坪城 (いせがつぼじょう) (県の史跡)
最寄地 広島県広島市安佐北区大林4丁目14−1 2019.3.9
伊勢が坪城 (いせがつぼじょう) (県の史跡)
最寄地 広島県広島市安佐北区大林4丁目14−1 2019.3.9
登城ルート
堀跡の道路
標識・登り口
上の段
中の段
下の段
伊勢が坪城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 根谷川左岸の標高135.6mの丘陵に築かれ、3段の郭が残っている。東側の道路が堀跡と云われる。
【案内】 国道183号線「大林小学校入口」交差点に「伊勢が坪城跡→」の案内標識が建てられている。
東に市立大林小学校(表記番地)南を約200m行き左折した80m先の左に見学者駐車場が用意されている[マップコード22 800 148*61](地図)。
そこより戻って南東の大林八幡宮北に説明板が建てられている(地図) 。東側の市道に登ってゆくと、カーブミラーの所から登ると「中の段」に着く。道路となっているところが空堀とされる。
昭和四十五年(1970年)1月30日、広島県の史跡に指定された。
【歴史】 熊谷氏は、承久三年(1221年)の「承久の乱」で討死した熊谷直国の戦功により、子の熊谷直時は安芸三入庄の地頭職を与えられ、武蔵国熊谷郷から移り、伊勢ヶ坪城を構え居城とした。
その後、戦乱の時代になると熊谷氏4代直経は、防御力の低い伊勢が坪城から、要害堅固な三入高松城に居城を移した。
しかし繋ぎの城としての役目もあり伊勢ヶ坪城は廃城となることなく存続し、隠居城としての役目も持っていたと云われている
慶長五年(1600年)「関ヶ原の戦い」の後、毛利氏の防長移封に従い、伊勢が坪城も他の熊谷氏の城や屋敷同様廃され、熊谷元直は三入の地を離れ、萩へと移っていった。