檜ヶ山城 (ひのきがせんじょう/ひがせんじょう) (檜ヶ仙城)
最寄地 島根県出雲市多久谷町1667 2018.5.11
檜ヶ山城 (ひのきがせんじょう/ひがせんじょう) (檜ヶ仙城)
最寄地 島根県出雲市多久谷町1667 2018.5.11
登城ルート
防火水槽左の入口・桧ヶ山遠景
登り口
北へ伸びる尾根
南下段の郭
南中段の郭
主郭(北西側)・土塁
三角点
檜ヶ山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高220m】
【感想】 宍道湖北側の標高333.3mの檜ヶ仙に築かれている。遠目にも平たい頂上が見え、主郭の巾は30m程だが長さは300m以上に及ぶ。堀切はあまり見られなかった。
登り口を作業中の住民に聞いたら、丁寧に教えて頂いた。ついでに読み方は「ひのきがせん」と教えられた。
【案内】 檜ヶ仙の南東を通る舗装道横に「桧ヶ山登山口」の標識が建てられている[マップコード134 820 327*32]。その南50mのカーブが広く駐車できる。
民家の間を登ってゆくと、防火水槽がありその反対側に写真3の登山口看板がある(地図)。
休耕田の畦を伝って西に約100m行くと、写真の登り口がある。整備された登山道を西に行き、尾根に出て右(北)に登ってゆく。
マーキングテープが点々と括られた尾根を延々登ってゆくと、下段の郭に着く。中段の郭を通り、上段の「登山口」と書かれたカラーコーンがある。
その先に逆への字形の細長い平坦地がある。土塁や段差で5つに区分され、北西側に三角点があり、土塁が残っている。
【歴史】 築城年代は定かではなが、大永年間(1521~28年)、東郷三河守忠光が拠ったと伝えられる。
永禄年間(1558~70年)檜ヶ仙城には多久弾正義敷が拠った。毛利氏に二度攻められ、一度は退けたが二度目の攻撃で落城し、毛利氏の手に落ちた。
永禄十二年(1569年)尼子勝久が尼子氏再興軍の兵を挙げると、元亀二年(1571年)毛利氏はこの桧ヶ仙城を改修しこれに対応した。