日出城 (ひじじょう) (暘谷城)(ようこくじょう)
所在地 大分県速見郡日出町(その他)2610-1 2012.9.11 2016.5.16
日出城 (ひじじょう) (暘谷城)(ようこくじょう)
所在地 大分県速見郡日出町(その他)2610-1 2012.9.11 2016.5.16
日出小学校・城址碑
小学校西の石垣・堀
時鐘楼・石垣
天守台石垣
北東隅櫓(鬼門櫓)
二の丸館の裏門櫓
日出城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 日豊本線「暘谷駅」より南に約280mに日出小学校(表記番地)があり、車の場合は国道10号線「八日市」交差点を右折し、約700m東に行った日出小学校の北に堀・石垣が残り、校門脇に城跡碑が建てられている[マップコード46 709 690*08]。
日出中学校との間の堀道を下ると、時鐘楼(3代藩主木下俊長の鋳造)があり、小学校校庭南の別府湾に面して二段の天守台の石垣がある(地図)。
大正九年作の虚子の句碑「海中に真清水わきて魚育つ」が建てられ、他に4句の紹介看板がある「七星をささへて松野の闇涼し・我為めに松の落葉を掻く人か・籐椅子に高崎山の影や来し・別府の灯積み重なりて涼しさよ」。別府湾の先に別府市街や高崎山などの絶景が望める。
北東隅櫓(4間四方二重櫓・鬼門櫓)が西の日出町立萬里図書館敷地内に移築現存している(地図)。
平櫓の裏門櫓(鐘櫓)(南北桁行3間、東西梁間2間)が二の丸館敷地内に移築現存している(地図)。
【歴史】 慶長六年(1601年)、日出藩の初代藩主・木下延俊が、義兄であった細川忠興の援助を受け築城した。
別名「暘谷城」と呼ばれ、3代木下俊長が『准南子』から引用して名づけたと伝えられる。
城は、別府湾に突出した南端の台地に本丸、その東・西・北三方をコの字に囲むように二の丸(萬里図書館、鬼門櫓、滝廉太郎銅像がある)、その東に三ノ丸(日出中学校)が築かれていた梯郭式平山城で、本丸には複合型の三重三階の天守と五基の二重櫓、平櫓一基、大手門から多聞櫓(長屋)を隔てた南部に御殿が建てられていた。
明治六年(1873年)本丸の建物の払下げを受け「暘谷小学校」が開設された。