台城 (うてなじょう) (水島城) (菊地十八外城)
最寄地 熊本県菊池市七城町台547 2016.5.13
台城 (うてなじょう) (水島城) (菊地十八外城)
最寄地 熊本県菊池市七城町台547 2016.5.13
説明板
登城ルート(緑線は車道)
入口道標
古墳・説明板
台城阯碑
虎口
台城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道325線より信号のある交差点を北に入り、すぐ右折、左折し「台簡易郵便局」(表記番地)の前の道路を北に450m行き、道標の交差点を左折して、150mほど行くと南に古墳がある[マップコード175 256 075*63]。
古墳の横に、「菊地家志臣之霊」石碑、説明板が建てられている。又古墳上に「台城阯」石碑が建てられている。又、南側には慰霊堂が建てられ、虎口の先は堀道となっている。古墳の北には堀切が見て取れる。
【構造】 菊地十八外城(とじょう)の一つである。台(うてな)台地の突端部にあり、北東は八筈の山地に連なり木野川・内田川が足下を流れる天然の要害である。打越城と対峙して、中間に馬渡(まわたし)、正光寺、増永の三城と連携して、玉名・鹿本方面からの敵に備えた。
十八外城の中でも特に重要であった(戦いの場になることが多かった)ようで、城主は特に決まっておらず交代制であったようである。
【歴史】 菊地氏は15代武光、16代武政を相次いで失い、文中三年(1374年)弱冠12歳で頭領を継いだ17代武朝(加賀丸)は、翌天授元年(1375年)、九州探題今川了俊率いる数万の軍勢をこの城で迎え討ち、2千騎で撃破した(水島の戦い)。
このた戦いは激戦であったことで有名で、激戦のあまり自軍の矢が尽きた後、敵の放った矢を取って放ったということから、台地の下の内田川一帯は「矢取」と呼ばれている。『菊池市教育委員会説明板』より。