帖佐館 (ちょうさやかた)
所在地 鹿児島県姶良市鍋倉778 2018.12.13
帖佐館 (ちょうさやかた)
所在地 鹿児島県姶良市鍋倉778 2018.12.13
地頭仮屋跡・帖佐小学校
居館跡・大手門跡
大手門跡・門礎石
石塁
稲荷神社
維新公邸址之碑
帖佐館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 稲荷神社の建っている居館跡の石垣は当時のもので、南側から東側にかけてよく残っている。
【案内】 県道42号線に面した市立「帖佐小学校」(姶良市鍋倉663)が地頭仮屋跡で南西角に標柱が建てられている[マップコード42 555 648*51] 。
小学校西側寄り北に約300m行くと、稲荷神社(表記番地)があり、正面鳥居横に「島津義弘居館跡石垣」の標柱が建てられている。神社横に「維新公邸址之碑」が建てられている。
残っている石垣から館の規模は東西160m南北190mで、石垣の上に築地塀99間があったと云われている。
東側入口が大手門跡で門柱礎石に臍穴が残っている。
【歴史】 文禄の役から帰還した島津義弘は、文禄四年(1595年)帖佐館を築いて、栗野城より移った。御屋地(おやじ)とも呼ばれる居館は、新納旅庵の指揮によって築かれたという。
義弘は慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に、慶長十年(1605年)から翌年にかけて帖佐館から平松城に移った。慶長十二年(1607年)には平松城より加治木館に移った。