直谷城 (なおやじょう) (県の史跡)
所在地 長崎県佐世保市吉井町直谷 2019.12.13
直谷城 (なおやじょう) (県の史跡)
所在地 長崎県佐世保市吉井町直谷 2019.12.13
登城ルート
搦手登り口・説明板
搦手
城跡碑・天守台
主郭
大手1~4の土塁
直谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高30m】
【感想】 佐世保市吉井町直谷にある標高167の内裏山に築かれている。
最高所の天守閣跡があり東に広い主郭、東端に東櫓台がある。
断崖上にある主郭の西から南に大手があり、石積、井戸、4条の土塁など見所は多く残っている。
【案内】 県道40号線の表記番地先に「直谷城搦手口←」の道路標識があり、約650m南下すると搦手口の着き、そこに駐車場が用意されている[マップコード89 443 076*53]
そこから東に断崖の左側を歩くと竪堀があり、その先に一の木戸がある。
平成十三年(2001年)2月26日、長崎県の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期は不明であるが、松浦清の次男貞を初代とする松浦党の在地領主・志佐氏の居城であった。
7代志佐重(かさぬ)と8代義(よろし)の時代には(1400年代)、東シナ海を舞台に朝鮮国や琉球国との海上交易を活発に行っていたという。
戦国時代、龍造寺・大村連合軍や松浦隆信(平戸)に攻められ、籠城戦をおこなったといわれる。 最終的に、戦国大名となった松浦隆信の所領となった。
元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。