俵石城 (たわらいしじょう)
最寄地 長崎県長崎市大籠町519 2019.12.11
俵石城 (たわらいしじょう)
最寄地 長崎県長崎市大籠町519 2019.12.11
登城ルート(緑線は車道)
カトリック善長谷教会
墓地手前を左へ
竪堀(右3条目)
南側横堀・朽ちた道標
主郭・俵のような岩
俵石八幡宮
北東の横堀・石垣
俵石城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 東シナ海を望む長崎半島中央の標高350mの城山に築かれている。東西約200m南北約100mと広大な山城となっている。
南斜面に5条の竪堀が残っており、主郭の北東側に俵石八幡宮が祀られている。城は周囲に横堀を巡らし、土塁の各所に石垣が残っている。
一周している内、降り口が判らなくなり、やっと下りられた(反対から見ると判らないものだ)。
【案内】 カトリック善長谷教会(表記番地)に駐車できる[マップコード443 609 187*55]。
教会の階段を登り、少し下ってコンクリートの墓参道を進む。墓地の50m程手前に左斜めに山道があり(道標は朽ちている)、登ると長崎県林業公社の看板がある(地図)。
そこから左に大きく曲がり尾根を登ってゆく。中腹に「←八幡神社」の道標があり、登るとロープが張られ、その右側に3条左に2条の竪堀が平行に伸びている。
土塁虎口を越えると、老朽化した道標があり、この場所を覚えておく(地図)。城塁に沿って一周する横堀があり、内側に石垣が残っている。
郭は西にやや傾斜し丸みを帯びた俵石が点在しており、北東の三角点のある最高所に俵石八幡宮が祀られ、直近に石鳥居、離れて北西横堀に石鳥居がある。
【歴史】 深堀能仲が承久の乱(1221年)の功により、建長七年(1255年)地頭として八浦荘へ下向し当地を治めた。深堀氏の本姓は三浦氏で、上総国深堀(千葉県いすみ市)の出身である。
築城年代は不明だが、室町時代、深堀氏の詰城として築かれた。
天正十二年(1584年)龍造寺隆信が戦死した後、鍋島直茂が龍造寺家の実権を握ったが、深堀純賢は直茂とともに朝鮮の役にも出兵し、後に鍋島姓を賜わり、深堀鍋島氏の祖となった。
江戸時代には6千石の家禄で佐賀鍋島藩の家老となり、代々ここを本拠として明治維新を迎えた。