石井垣城 (いわいがきじょう)
所在地 鳥取県西伯郡大山町赤坂764 2015.5.16 2016.5.20 2017.5.6
石井垣城 (いわいがきじょう)
所在地 鳥取県西伯郡大山町赤坂764 2015.5.16 2016.5.20 2017.5.6
登城ルート(緑は侍屋敷)
大手口
侍屋敷跡
侍屋敷東側空堀
五輪塔
供養碑
2郭南側の空堀
主郭の土塁
石井垣城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 甲川の橋近辺に説明板が以前はあったらしいが、撤去されていた。
城域は東西200m南北約230と広く、杉林で鬱蒼としており標識もなく、いつ行っても見落としがある。という事で3回目の訪問であった。
今回は主郭周辺を見て回ったが、あいにくの雨と草木が茂っている為、傘をさしながらの撮影に苦労した。主郭へは、春日神社の車道北の土塁を越えて入って行ける。
【案内】 山陰自動車道「中山」ICより左折し、県道278号線をすぐ左折して850m行き「デイサービスセンターなかやま」(表記番地)の東に駐車場が用意されている[マップコード578 039 509*33]。
「中山」ICより左折し、広域農道(県道278号線)を約150m行った「赤碕清掃」より、北に細い道を約400m行くと「春日神社」(大山町赤坂143)がある。
大手口より登ると、南北に分けられた侍屋敷と推定される郭がある。その北側に東西方向に1条、東側に南北方向に2条の空堀が良く残り、郭に土塁が見られる。
空堀南側の東に、湿地帯がありその北の小郭に、「箆津豊後守敦忠公供養碑」と刻まれた碑と、墓とされる五輪塔が残されている(地図)。南側の郭は現在、春日神社の境内になっている。
甲川(きのえがわ)に沿って、春日神社、その北側に2郭、主郭と並んでいる。鬱蒼としているが、空堀、土塁がよく残っている。
【構造】 甲川沿いに位置する標高55m(比高10m)の丘陵にあり、この地方では珍しい複郭式の平山城である。全部で7つの曲輪が存在しており、東西300m、南北500mの広範囲に城域が広がっている。また、主郭周辺の平坦地等は侍屋敷、館跡と推定されている。
【神社由来記】 由緒記に「當社は奈良春日大社より勧請 延文年中(1340年前後)野津豊後守敦忠汗入八橋両郡の内五万石を領し、当地に在館 當社を篤く崇敬して社殿の改築や社領を寄進し広大な社地を有し、この地方の崇敬亦篤く現今に至っている。 當社は城跡の一画で城は石井垣城又の名を養中山下り松城と唱えていたと旧記にあります」と記されている。
【歴史】 南北朝時代初期には伯耆守護代の糟屋弥次郎元覚の拠点であった。
元弘三年(1333年)、船上山合戦の後、名和長年によって攻撃され炎上、幕府方の糟屋氏は滅亡した。
まもなくして付近の国人・赤坂掃部助が居城、その後、箆津(のづ)豊後守敦忠が居城し、以後は箆津氏代々の居城となった。