槇島城 (まきしまじょう)
最寄地 京都府宇治市槙島町大幡33 2015.5.3
槇島城 (まきしまじょう)
最寄地 京都府宇治市槙島町大幡33 2015.5.3
槙島公園
槙島公園
槙島城記念碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 槙島公園へのアクセスの道幅は狭く、駐車スペースも少ない[マップコード7 231 480*71]。
平成十六年八月に槙島城顕彰会により「槙島城記念碑」(地図)、宇治市教育委員会による説明板が建てられている。
城跡は公園の南約100m付近に在った(表記番地より南へ200mの範囲)が、田畑や宅地となり遺構は無い。
【歴史】 槙島城が史料に出てくるのは少ないが、元亀四年(1573年)織田信長に追われた室町幕府第15代将軍足利義昭は、京都から真木島昭光がいる槙島城に居を移した。
しかし、七月十八日に追ってきた信長軍勢の豊臣秀吉・明智光秀・柴田勝家らからは川下の五ヶ庄より、稲葉一鉄らからは平等院周辺から攻撃を受け、義昭は昭光と河内国へ逃走した。
城は開城すると共に、室町幕府はこの地で滅んだ。「槙島合戦」と呼ばれる。
その後信長・秀吉により管理されたが、天正十六年(1588年)将軍職を辞した足利義明が秀吉によって1万石の大名として入った。
文禄三年(1594年)頃、廃城となった。『宇治市教育委員会説明板』より。