高尾城 (たかおじょう) (市の史跡)
最寄地 愛媛県西条市氷見丙783−1 2018.3.5
高尾城 (たかおじょう) (市の史跡)
最寄地 愛媛県西条市氷見丙783−1 2018.3.5
登城ルート(緑線は車道)
登り口・碑
用水路を渡る
主郭
主郭・城跡標柱・土塁
南1番目の堀切
2番目の堀切
南3番目の堀切
高尾城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高190m】
【感想】 城之谷ダム湖に向けて伸びる標高247.8mの尾根先端部の頂上にあり、遊歩道が整備され一本道で迷う事はない。
主郭と北の2段の郭から構成され、土塁、3条の堀切がよく残っていた。当日は雨後の靄が立ち込め、移動や撮影に苦労させられた。
東側の県道142号線からも登れそうだったが10匹ほどの放し飼いの犬に吠えられ、襲われそうだったので諦めた(地図)。
【案内】 県道11号線「朝日町」交差点より南へ130m行き、右折約120m、左折し約1.3km南下し表記番地へ向かう。その南の松山自動車道高架下を過ぎて間もなく左側に駐車場が用意されている[マップコード119 165 304*67](地図)。
「高尾城跡 登山口」の石碑の横より橋を渡って用水路の土手に出る。左(下流)へ少し歩くと橋があり、斜めに登る道が見える。
尾根に出て、右に尾根伝いの遊歩道を登ると主郭に着く。主郭は30m四方ほどの規模で南に土塁を備え、城跡標柱が建てられている。北に一段下がって郭がありその先は、靄ではっきりしない。
主郭土塁の南に深い堀切があり、土塁のある小郭、堀切、尾根、堀切と並んでいる。
昭和三十九年(1964年)8月1日、西条市の史跡に指定された。
【歴史】 高尾城は高峠城の支城として、享禄3年(1530年)頃、高峠城主石川通清によって築かれたといわれる。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で小早川隆景が伊予に侵攻した(天正の陣)。当時高尾城は、金子城主金子元宅の配下にあり宇高城主高橋美濃守が入った。
籠城戦となったが、10倍に及ぶ大軍の猛攻の前に、遂に落城し美濃守は城に火を放って自刃した。