槌山城 (つちやまじょう) (明神山城) (市の史跡)
所在地 広島県東広島市八本松町原/吉川 2021.4.16
槌山城 (つちやまじょう) (明神山城) (市の史跡)
所在地 広島県東広島市八本松町原/吉川 2021.4.16
登城ルート(緑線は車道)
登り口
鬼が丸城との分岐
南西の郭
主郭・標柱・説明板
鬼が丸城東の断崖
鬼が丸城
槌山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 東広島市八本松町原と吉川の境にある標高488mの槌山に築かれている。
主郭は3段になっており、北西に4郭、東に2郭、東端に3郭があり、夫々階段状になっている。
西方に向かい合った標高410mの山頂に「鬼が丸城」があり、天文二十年の槌山城合戦の際、毛利隆元の指揮所として使われたという。
【案内】 県道335号線より北に約400m行った豊穣池北に駐車場がある[マップコード102 798 771*47]。
その東の豊穣池防向かいに登り口があり、説明板が建てられている(地図)。
遊歩道を約600m登った尾根に「鬼が丸城」との分岐があり、右に480m登って行くと槌山城に着く。
分岐より西に一旦下って再度険しい山道300m登って行くと鬼が丸城に着く(地図)。
昭和五十三年(1978年)11月15日、東広島市の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期は明らかでないが、南北朝時代に築かれたと云われる。
大永三年(1523年)出雲尼子氏に攻められ鏡山城が落城し、大永五年(1525年)以降、大内氏の拠点は杣城(曽場ヶ城)、その後槌山城に移された。
天文十二年(1543年)大内氏は守護代の弘中隆兼を槌山城に派遣した。
隆兼は「西条守護殿」と呼ばれ、天文十九年(1550年)頃まで槌山城を本拠として芸備両国を支配していた。
天文二十年(1551年)陶晴賢の反乱によって大内義隆が討たれた際、陶晴賢の命を受けた毛利隆元に攻め落とされた。
弘治元年(1555年)厳島合戦で陶晴賢を滅ぼした後は、小早川氏が管理していたが、「当国守護山」ということで、毛利氏に移管された。