渋柿城 (しぶがきじょう)
最寄地 愛媛県四国中央市土居町中村1774 2017.12.14
渋柿城 (しぶがきじょう)
最寄地 愛媛県四国中央市土居町中村1774 2017.12.14
登城ルート(緑線は車道)
登り口・墓地駐車場
7合目の横堀
北側の帯郭
北の郭
主郭
主郭南の堀切
主郭南2条目の堀切
渋柿城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 赤星山から北に伸びる標高約272mの尾根先端部に築かれている。
南北に3つの郭が階段状に並び東側に帯郭がある。主郭は50m×20mほどの規模があり、南の尾根に堀切が2条残る。北側の7合目付近に横堀とそれに続く竪堀がある
【案内】 国道11号線の「ペット霊園」の大きな看板や送電線鉄塔のある交差点より南へ約850m行く。左折、松山自動車道北の道路を東へ約150m行き右折、松山自動車道「土居16」トンネルを潜って左に登り墓地に駐車できる[マップコード172 713 804*85](地図)。
墓地左より50mほど進み沢を渡って左に登り、100mほど先を鋭角に曲がって登る。
7合目付近に横堀が良く残っている。さらに登ると東に回り込む帯郭があり、北側に3段の郭が残っている。主郭背後(南側)の尾根に堀切が2条残っている。
【歴史】 河野氏の部将・薦田(こもた)氏が築城したとされる。
天正五年(1577年)薦田治部進義清は松尾城主・真鍋大炊介通近を助けて野々首合戦で大西備中守元武を攻略した。
天正十年(1582年) 長宗我部元親の伊予侵攻の際、攻められて降伏した。
天正十三年(1585年) 豊臣秀吉の命を受けた小早川隆景軍が伊予に侵攻した。義清は金子山城主・金子備後守元宅らを助けて、高尾城に立て籠もり、野々市の合戦で戦死した。渋柿城も小早川軍に攻められ落城し、廃城となった。