山家城 (やまがじょう)
所在地 京都府綾部市広瀬町上ノ町 2017.3.24
山家城 (やまがじょう)
所在地 京都府綾部市広瀬町上ノ町 2017.3.24
櫓門
城址碑
谷霊神社・石垣
城址公園
北側空堀
山家城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 由良川の支流上林川の左岸の台地にあり、江戸時代に使われた谷氏の陣屋であった。
北側に井戸、石垣が残り、その先の下方に空堀、土塁がよく残っている。
【案内】 国道27号線に案内看板があり、北に約900m登って行った所に櫓門の建物があり、駐車スペースがある[マップコード174 158 616*21]。
揚羽蝶の家紋のある櫓門があり、2万1300㎡の敷地は公園となり、桜、梅、紅葉などが植えられている。
東方の甲ヶ峯には戦国時代、和久氏により使われた甲ヶ峯城がある。
【歴史】 谷衛友は谷衛好の3男として美濃国に生まれ、谷衛好はもと斎藤道三の家臣であったが、道三の死後、織田信長の臣となった。その後衛友は父と共に秀吉に仕えて、采地200石を知行した。
天正七年(1579年)播州三木城攻めで父衛好は戦死するが、軍功のあった谷出羽守衛友(もりとも)は織田信長より播磨国平田6千石を与えられ、6千200石となった。
天正十年(1582年)豊臣秀吉より、1万6千石で美濃国から封ぜられ、和久氏の去った甲ヶ峰城に入った。その後、西麓に陣屋を築いた(地元では山家城と呼ばれる)。
谷衛友は、慶長二十年(1615年)、大坂の陣に参陣し、徳川秀忠の御伽衆を務めている。
衛友は寛永四年(1628年)に死去し、4男・谷衛政が家督を継ぎ、山家藩2代藩主となる。
その後、谷氏代々の居城として使われ13代の時、明治維新を迎えた。