経山城 (きょうやまじょう) (京山城) (市の史跡)
最寄地 岡山県総社市黒尾924 2017.5.13
経山城 (きょうやまじょう) (京山城) (市の史跡)
最寄地 岡山県総社市黒尾924 2017.5.13
登城ルート
登り口・道標
北郭北側土塁・空堀
主郭
南東の石垣
南の横堀
経山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【感想】 総社市黒尾の標高372.6mの経山頂上にあり、南北約100m東西約50mの広さがある。
北側と南側に土塁と内側の横空堀が残っている。切岸に石垣の石が散乱し、一部南東側に石垣が残っている。
【案内】 砂川公園前を通って、約2.5㎞鬼ノ城に向かう道路の表記番地手前約100mに登り口があり駐車スペースがある[マップコード275 180 086*53](地図)。
登ると間もなく尾根に出、城跡碑が建てられている。南(左)に登って行き城跡入口に「経山城跡」の標柱が建てられている。
虎口右側に土塁があり内側に空堀が残っている。その南に北郭が二段になっており、東側に一段下がって帯郭がある。
山頂部に方形の主郭を置き、主郭南から西にかけてL字状に二段の帯曲輪がある。
この一番外側の曲輪と鉄塔の間に横空堀と土塁があり、主郭南東の切岸に石垣が一部残っている。
平成十一年(1999年)4月28日、総社市の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期は定かではないが、天文年間(1532~55年)大内義隆によって築かれたと云われる。
天文十二年(1543年)浦上宗景が経山城を攻めたが、守将の大内氏家臣二階堂氏行の堅守に遇い退却した。
元亀二年(1571年)尼子残党が備中へ押し寄せてくると、城将二階堂(中島)大炊助元行は小勢で守り、尼子勢を撃退した。尼子勢は多くの兵を失い佐井田城へ退いた。(現地の標柱には、元亀二年(1571年)に尼子晴久の城攻めがありしているが、晴久は永禄三年(1561年)に没しているので誤記と思われる)。
天正十年(1582年)羽柴秀吉が備中に侵攻し備中国高松城を攻めた際、中島元行は清水宗治と共に高松城に籠城した。やがて水攻めにより高松城は城主清水宗治の自刃により開城した。この地は宇喜多氏の所領となり、経山城は延原土佐守に与えられたが、後に廃城となった。