金山城 (きんざんじょう) (市の史跡)
最寄地 兵庫県丹波篠山市追入166 2018.8.8
金山城 (きんざんじょう) (市の史跡)
最寄地 兵庫県丹波篠山市追入166 2018.8.8
登城ルート
登り口
園林寺跡
馬場跡
本丸跡
本丸南西側の石垣
鬼の架橋
金山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高290m】
【感想】 丹波篠山市と丹波市の境の標高540mの金山に築かれている。頂上の本丸は30m四方ほどの広さがあり、東側の眺望もよい。南尾根の馬場跡の土塁や本丸南西側石垣が5mほど残っている。
比高は高いが、約1kmの遊歩道が頂上まで続き、迷う事はない。
【案内】 国道175号線の追入集落に差し掛かる所に「金山登山口」の道標があり、西へ行きすぐ右折200mほど北に行くと、追入神社灯籠の南側に駐車場が用意されている[マップコード165 074 807*52]。
灯籠先に説明板が建てられ、獣除けフエンス扉を開け閉めして追入神社に登ると、石段から遊歩道が設けられている。ジグザグに西へ登り5合目の尾根に出て右(北)へ登ってゆく(鬼の架橋の標識あり)。
8合目付近に園林寺跡の石垣があり、その上に南北に細長い馬場跡があり、南端に土塁が残っている。
その先の斜面に差し掛かる所が、二股に分れ、右に尾根を登ると、本丸がある。本丸の西側に櫓台があり、南西側に石垣が残っている。
北側の通路を西に下ると、岩石が橋梁状になった「鬼の架け橋」が見られる。
丹波篠山市の史跡に指定されている。
【歴史】 天正三年(1575年)織田信長の命を受けた明智光秀により、荻野(赤井)氏の居城の黒井城攻めが行われた。当初、八上城の波多野氏は明智側に付いたが、天正四年(1576年)一月、荻野氏側に寝返り、背後を突かれた明智軍は敗走した。
翌年再び明智軍は丹波に攻め入り、天正六年三月に八上城を包囲し、兵糧攻めの末、天正七年(1579年)六月八上城は落城し、同年八月に黒井城も落城した。
光秀が金山城を築いたのは八上城を包囲した後の事で、氷上郡を見渡せる金山に陣城を築き、黒井城と八上城の補給ルートを絶つためと考えられている。