猫城 (ねこじょう)
最寄地 福岡県中間市大字上底井野1696−1 2021.4.10
猫城 (ねこじょう)
最寄地 福岡県中間市大字上底井野1696−1 2021.4.10
月瀬八幡宮・水路の橋
説明板
月瀬神社・城址碑(左の自然石)
月瀬神社
猫城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高15m】
【感想】 月瀬八幡宮の祀られている小山が城跡で、2段の郭が見られ背後に段郭がある。周囲は沼地や広い水堀で囲まれていたという。
参道橋の架かる屈曲した水路は堀の名残といわれる。訪れたのは春たけなわで、宮司家の庭園につつじや藤が咲き誇りよい香りを漂わせていた。
【案内】 県道293号線より西に少し行った月瀬八幡宮(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード68 532 208*37]。
月瀬八幡宮鳥居横に説明板が建てられ、階段を登ると2段になった曲輪が見られ、大きな自然石の城址碑が建てられている。
【歴史】 室町時代、麻生氏の端城として築かれたという。
山鹿城の麻生元重と宗像大宮司氏貞は、数度の合戦に及ぶも決着がつかず、天正六年(1578年)遠賀川の東は麻生領、西は宗像領と決められた。
氏貞は家臣・吉田倫行に兵150余人を付け、遠賀川の西にある猫城に配属した。
天正八年(1580年)五月、豊後の大友氏の命を受け、鷹取城主・森鎮実が攻め込んだが、宗像勢は激戦の末、これを退けた。