岩屋城 (いわやじょう) (祝屋城・厳屋城)
最寄地 広島県安芸高田市甲田町深瀬183 2022.11.6
岩屋城 (いわやじょう) (祝屋城・厳屋城)
最寄地 広島県安芸高田市甲田町深瀬183 2022.11.6
登城ルート(緑線は車道)
登り口右の城址碑・説明板
観音堂・手前を左斜めに登る
西側の堀切
西の郭
主郭西側・三角点
東の2郭
深瀬隆兼の墓の碑
岩屋城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 江の川左岸の標高257.3mの西から伸びた尾根先端に築かれている。
主郭は東西に細長く、西に2段があり西端に堀切が残っている。また主郭の東側約5m下に2郭が見られる。
【案内】 国道183号線より表記番地に向かい、その東側が広くなりそこに駐車できる[マップコード244 259 216*24]。
山側に城址碑があり、説明板が置かれている。墓地横を登ると観音堂に出、その左から谷筋を登る。
堀切に出、東に行くと段郭、主郭がある。
また、麓の民家に深瀬隆兼の墓があり、石垣上に石碑が建てられている(地図)。
【歴史】 永正元年(1504年)6代五龍城主・宍戸元家により築城された。五龍城を長男元源(もとよし)に譲り、次男隆兼、三男家俊と共に移り住んだ。
隆兼は祝屋城主となり、地名に因んで深瀬氏を名乗った。
天文九年(1540年)六月、尼子国久、誠久(まさひさ)、久幸の三将は兵3千余を率いて備後路から志和地の八幡山城に陣を進めた。そして祝屋城、五龍城を陥れたのち郡山城へ迫る計画であった。
尼子勢に対して、深瀬隆兼、宍戸隆家が祝屋城前の犬飼平、江の川石見堂の渡しの合戦で激しく防戦し、遂に尼子勢を敗退させた。
その後慶長五年(1600年)毛利氏の萩移封に伴い、周防三丘に移るまで四代の居城として続いた。