宇木城 (うきじょう) (浮城・高城)
所在地 長崎県諫早市有喜町800 2019.12.20
宇木城 (うきじょう) (浮城・高城)
所在地 長崎県諫早市有喜町800 2019.12.20
説明板
有喜小学校西側斜面
城跡碑
有喜小学校
宇木城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 橘湾に近い標高約37mの台地に築かれており、小学校用地となっている。
校庭の北側に小高い山が見え、何か遺構が在るかもしれないが生徒が多く、気兼ねして諦めた。
【案内】 国道251号線より登って行った有喜小学校(表記番地)敷地となっており、南側校門手前に城址碑、説明板が建てられている[マップコード 44 474 107*72 ]。
【歴史】 西郷氏は宇木城を居城として鎌倉時代後期の「元寇の役」に姿を現し、南北朝時代は南朝方として幾たびも九州探題の攻撃を受け奮戦した。
伊佐早地方は船越城を拠点としていた「伊佐早家」と、宇木城を拠点としていた「西郷家」の二つの勢力に分れていた。
戦国時代、西郷尚善は伊佐早に進出、高城を築き勢力を伸ばした。その後も合従連衡を繰り返し、キリスト教をめぐっては大村や長崎などへ執拗に戦を仕掛けた。
天正十五年(1587年)豊臣秀吉の参陣命令に従わず、秀吉の命を受けた龍造寺家晴によって宇木城主は西郷純門は攻められ、西郷家は滅ぼされた。
家晴は宇木城番代として木下安可を充てたが、間もなく廃城となった。
大正八年(1919年)跡地に有喜尋常高等小学校が開校し、現在に至る。