串木野城 (くしきのじょう) (亀ヶ城・城山)
最寄地 鹿児島県いちき串木野市上名2798 2018.12.12
串木野城 (くしきのじょう) (亀ヶ城・城山)
最寄地 鹿児島県いちき串木野市上名2798 2018.12.12
登城ルート(緑線は車道)
地頭仮屋跡・説明板
説明板
旧入来邸
空堀入口
北側の空堀
南の郭
北の郭・切岸
串木野城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 五反田川左岸の標高33mの丘陵に築かれ、6つの郭(城)から構成されている。
鬱蒼とした竹林の中に空堀が残っているが、倒竹で移動に苦労する。
【案内】 南九州西回り自動車道「串木野IC」より県道39号線に入って西に行き、右折してゆくと、地頭仮屋石垣前に説明板が建てられている[マップコード147 484 465*53](地図)。
そこより東へ100m余行くと、旧入来邸があり、その先に南方神社があり、その先が少し広く路駐した。
旧入来邸の斜め向かいに低くなった所があり、そこから空堀に通じている。
南北と西側に郭があり、その間に空堀が残っている。他にも郭があり、合わせて6つの郭があるという。
【歴史】 平忠直の3男・三郎忠道が築城し、串木野氏を名乗った。5代串木野忠秋は南朝方に与し、島津氏5代貞久と戦った。興国三年(1342年)頃落城し忠秋は父祖の地知覧へ逃れた。
それ以降、当地は島津氏の領地となった。文明六年(1474年)川上忠塞が城主に任じられ、栄久(しげひさ)・忠克の3代が務めた。
15代島津貴久は、山田蔵人を串木野・市来の地頭に任じ、17代義弘は弟家久を串木野隈之城の地頭に任じた。家久は十年間地頭職であったが、天正七年(1579年)日向佐土原の領主として当地より移った。
その後、文久三年(1863年)まで約30名の歴代地頭が置かれた。